渡る世間でヘマばかり

ただただ、吹き溜まってNIer方面に燻っている中年の痴呆ブログ

「オタク」ってのがナゼ煙たいのか、を考える。

TVで「オタパパ」だったか、狙い撃ちリバイバル戦略で撃墜され続けている人たちを特集されてましたね。近年ますますその存在に注目が集まっているのは間違いないワケで。とはいえ、その根本には公にできない「何か」があることを皆さんも承知した上で取り扱っていることは紛れもない事実だと思うです。
この「何か」ってなんなんでしょ。なんか、「市民権を!」とかなんとか議論がでてましたが、本質的に世間に表向いて取り扱えないシロモノだと思うのです。なんでかって、「オタク」って呼ばれる対象や行動は、要するに自慰行為と近い感覚で捉えられないかと。悪意ではないですが、「自己中心的に、自分の持つ願望や想像や憧れを、ある意味都合よく解釈しなんらかの手段方法を使って具現・具体化しようとする欲求の総称」とでもいいますか。これの「自己中心的な」って点が第三者にしてみれば、圧迫感であったり迷惑に見えたりする部分なんじゃないかなと。んでもって、「ある意味都合よく解釈し」というのが第三者の理解の妨げになっているってとこでしょうか。ヒドい例えをするならば、第三者の認識は「ワケのわからない宗教にハマっている人が、ワケのわからないことに金を費やしていることに対する不気味さ」に近いかなと。
いや、俺はナニが言いたいかというと、世間認識の位置づけとして、「オタク」を「オナニー」と同じようなものですな。というところにハメこんでですね、すっきりしたいワケです。(自己満足)
一つ断っておくと、「オナニー」を悪いと言うつもりは微塵もありません。どちらかと言うとある程度は精神衛生上、必要なものかと。
よーするに、みんな何かしらおたく要素は持ってるし好きなことがあるのは知っている、でも、その行為自体は見せる必要もないし見せびらかす必要もない、故にマクロ(社会的)に取り扱うことはあってもミクロ(個々人)をクローズアップすることはナンセンスかなと。
いやいや、その昔のおたくの取り上げ方と違う点が俺個人は感覚として嫌悪しているのかもしれません。
以前はおたくはおたくの世界でなりを潜めていた、というか、社会として取り上げる機会は事件的トピックでしかなかったような。が、いまや「儲かる仕組み」として持ち上げられている感が強すぎて・・・。なーんかね、そんなの精神でも文化でもなく、単なる浪費じゃないかと。あいや、それも精神だったり文化ともいうんだろうけど、うーんと、つまり「内発的」じゃないし、「必然的」でもないし、この辺りが欠けている現象は衰えが激しくてしかも、もともとの形態を吹き飛ばして、大規模店舗が撤退したあとの商店街みたいな光景になるのがなんとなく思い浮かぶような気が一人勝手にしているわけです。まぁ、参加もせずにすみっこでぐだぐだ言ってても始まらないのですが・・・(汗